「全然素敵」は間違い?

「全然」は「全然だめだ」のようにその下に打ち消しか否定的な表現がつくと考えられています。ところが、最近では「全然すてき」「全然いい」のような言い方が珍しくなくなっています。

このように用法が変化した言葉は「全然」だけではありません。「とても」も明治のころには「とてもできない」のように打ち消しを伴う用法だけでした。それが大正・昭和になって「とてもきれい」のような言い方がなされるようになったのです。「全然すてき」のような言い方は、現在では国語辞典の多くに俗用として採録されています。「とても」も「全然」も同じ穴のムジナというわけです。

「元旦の夜」は永遠に来ない

夜が来ない日はありません。しかし元旦の夜だけはいくら待っていても決して来ません。なぜでしょうか。「旦」の字を見てください。これは太陽(日)が地平線(一)から現れたさまをかたどっています。つまり、「旦」は「朝」「夜明け」を表す文字なのです。ですから「元旦」は「元日の朝」のことです。年賀状に「元旦」と書くのも、新年の夜明けに挨拶をするからです。ですから元旦の夜に約束をしても永遠にデート出来ないことになります。もちろん「元日の夜」は来ますから「元旦の夜」のデートは出来なくとも「元日の夜」なら大丈夫です。

碁は「打ち」、将棋は「指す」

碁や将棋には公認のルールがあり、独特の用語が決められています。ですから「指す」でも「打つ」でもかまわないというわけにはいきません。「碁を指す」「将棋を打つ」は間違いです。「碁を打つ」「将棋を指す」といわねばなりません。

では、オセロはどうでしょうか?日本オセロ連盟では「打つ」に統一しています。なるほど碁もオセロも黒と白の石(チップ)を使っており、共通するものがあるようです。また、よく将棋と比較されるチェスの場合は、やはり将棋と同じく「指す」ということになっています。ひょっとすると初めから盤上に置いてあるゲームが「指す」で、そうでないものが「打つ」なのかもしれませんね。

— posted by 間中 at 11:55 am  

弓と矢を同時に引くと何も飛ばなくなる

「弓矢を引く」どこもおかしいところは見当たらない?よく間違える表現です。正しくは「弓を引く」です。こういえばなるほど、と思うことでしょう。「弓矢」は「弓と矢」ですから、両方を引いたら、飛んでいくものがなくなってしまうことにもなりかねません。正しく、弓に矢をつがえて射ることが大切です。

なお「弓を引く」には「矢を射る」ことのほかに「反抗する。そむく」の意味もあり、「親に向かって弓を引くつもりか」などと時代がかった表現で怒鳴られることもあります。余談ですか、「弓を引く」も間違いで「弦(つる)を引く」が正しいとする人もいるかもしれませんが、それは「川が流れる」をおかしいと言いがかりをつける人と同類といえます。

「手をこまねいて」は訛っている

何もしないでただ見ていることは、「傍観(ぼうかん)」とも「拱手」ともいい、二つ合わせて「拱手傍観」ということばもあります。ところで、「拱手」を「こうしゅ」と読んだのでは慣用読みで、「きょうしゅ」が正しい読み方です。「広辞苑」でも本見出しは「きょうしゅ」です。さらに「拱手」には問題があって、これを読み下して「手を拱く」という言い方もあるのですが、これを「こまねく」といってはだめなのです。

これは「こまぬく」の訛(なま)った読み方とされています。もちろん、広辞苑は「こまぬく」を本見出しとしています。「拱手(こうしゅ)」も「こまねく」も間違いとなると、辞書はこまめに引くべきですね。

— posted by 間中 at 02:20 pm  

「悲喜こもごも」は大勢には使えない

レコード大賞の授賞式会場を、受賞した人、しなかった人の双方を表そうとして、「悲喜こもごもの会場」といった使い方をしてはいけません。「悲喜こもごも」は、喜ぶ人もいれば悲しむ人もいるという場合には使いません。

本来これは、一人の人が、悲しみと喜びとを代わる代わる味わうことをいい、「悲喜こもごもの人生」などと使います。また、悲しみと喜びが入り交じることも表し、栄転だが、地方単身赴任の辞令に接したときなどに「悲喜こもごもといったところさ」などと心境を表現します。「喜んでいいものやら悲しんでいいものやら」といった言い回しと通じるものがあります。

弾は当てても照準は当てられない

一般に「ねらいを定めること」を「照準」といいます。これを「A大学に照準を当てて受験勉強に励む」といっては間違いです。「照準」は元来「鉄砲のねらいをつけること」ですから。「照準を当てる」といえば、照準器を目標に当ててしまうことにでもなるのでしょうか。当てるのは、弾丸でなければなりません。「照準を合わせる」が正しい言い方です。

— posted by 間中 at 01:13 pm  

生唾は「わく」よだれは「出る」が正しい

「愛陶家なら生つばの出そうな作品がずらりと並んでいる」陳列棚の前で、生つばをごくりと飲み込む音が聞こえてきそうです。ですが、「生つば」は「出る」ものでなく「わく」と表現します。「出る」のは「よだれ」で、食い意地がはっているようでいけません。

たとえば「愛猫家(あいびょうか)ならよだれの出そうな猫がずらり・・・」といったら、英国あたりからすぐにでも抗議の電報がくるでしょう。ただし、非常に欲することを「垂涎(すいぜん)」といい「垂涎の的(まと)」などと使います。これは文字どおり、涎(よだれ)を垂らすことですから、動物相手には便わないほうが賢明かも・・・。

「熱にうなされる」はどこが間違い?

かぜで寝こんでいる子が、意識不確かになることを指して「熱にうなされる」というのは間違いです。「うなされる」は「魘される」と書き、恐ろしい夢などを見て、思わず苦しそうな声を立てることです。高熱のために、ぜいぜいとあえぐような声を出していても、それは「うなされる」とはいいません。例文のように。熱のために、意識が不確かになることは、「熱にうなされる」といいます。これは、現実に高熱にならなくても、「恋をして、まるで熱にうなされたみたいだ」のように比喩的(ひゆてき)にも用いられます。

— posted by 間中 at 12:22 pm  

「斜めに構える」では倒れてしまう

 「斜(しゃ)に構える」を「ななめに構える」あるいは「はすに構える」といったのでは、物をななめに持って構えるという現実的な動作しか表しません。確かにこのことばは、剣術で刀の剣先を相手にまったく向ないで、ななめに傾けることらきました。それでも「しゃに構える」と読むのであって、「ななめ」では、このことばのもっている広い意味合いか表せなくなります。

つまり「しっかりと身構える。改まった態度をする」の反対で「物事に正面または正攻法で対処しないで、皮肉・からかい・遊びなどの態度で臨むこと」の意味を表せなくなるのです。「アイツ、ななめに構えてるなあ」といったら、それこそ倒れてしまいそうであぶなっかしいですね。

「バランスが逆転」では意味不明

「次の選挙の焦点は与野党のバランスが逆転なるかどうかです」「伯仲(はくちゅう)」から「逆転」にまでいくかどうかは興味のあるところですが、「バランス」が「逆転」するとはどういう意味でしょうか。

「バランス」は「balance」で「つりあい。均衡」のことです。天秤(てんびん)がつり合っているように、二者がつり合っていることを「バランスがとれている」などといいます。ですから、「バランスが崩れる」と使いますが、「与野党のバランスが崩れる」という言い方自体おかしな表現です。簡単に、「勢力が逆転する」くらいの表現が適当といえます。

— posted by 間中 at 12:40 am