「斜(しゃ)に構える」を「ななめに構える」あるいは「はすに構える」といったのでは、物をななめに持って構えるという現実的な動作しか表しません。確かにこのことばは、剣術で刀の剣先を相手にまったく向ないで、ななめに傾けることらきました。それでも「しゃに構える」と読むのであって、「ななめ」では、このことばのもっている広い意味合いか表せなくなります。
つまり「しっかりと身構える。改まった態度をする」の反対で「物事に正面または正攻法で対処しないで、皮肉・からかい・遊びなどの態度で臨むこと」の意味を表せなくなるのです。「アイツ、ななめに構えてるなあ」といったら、それこそ倒れてしまいそうであぶなっかしいですね。
「バランスが逆転」では意味不明
「次の選挙の焦点は与野党のバランスが逆転なるかどうかです」「伯仲(はくちゅう)」から「逆転」にまでいくかどうかは興味のあるところですが、「バランス」が「逆転」するとはどういう意味でしょうか。
「バランス」は「balance」で「つりあい。均衡」のことです。天秤(てんびん)がつり合っているように、二者がつり合っていることを「バランスがとれている」などといいます。ですから、「バランスが崩れる」と使いますが、「与野党のバランスが崩れる」という言い方自体おかしな表現です。簡単に、「勢力が逆転する」くらいの表現が適当といえます。
「飲み交わす」では交互にしか飲めない
「久し振りに酒を飲み交わそう」これでは.酒を代わる代わる飲むことになって、相手が飲んでいる間は、じっと待っていなければなりません。正しくは「酒を酌み交わす」といい。互いに「もう一杯、どうぞ」とお酌し合うことを表しています。また「杯を交わす」ともいいます。
「しろうとはだし」ではほめられない
「見事な絵ですね。まるで”しろうとはだし”ですねえ」このように感心されても喜んではいられません。「くろうとはだし」でないとほめ言葉にならないからです。これは「はだし」の意味を知らないために「しろうと」だったか「くろうと」だったかわからなくなって間違って覚えてしまったのでしょう。
意味がわかれば間違えようがありません。つまり「くろうともはだしで逃げる」それほどすぐれているというのです。しろうとでは裸で逃げたってほめ言葉にはなりません。
もう一つ「しろうとばなれ」ということばもあります。しろうとの域を出てくろうとに近いくらいにすぐれていることです。「くろうとはだし」、「しろうとぱなれ」、どもろもくろうとに匹敵するようですが、あくまでもしろうとだからいってもらえるほめ一言葉です。うっかり本気にして「画家」に転業してはいけません。なお、くろうとは「玄人」。しろうとは「素人」と書きます。
「しろうとはだし」ではほめられない
「見事な絵ですね。まるで”しろうとはだし”ですねえ」このように感心されても喜んではいられません。「くろうとはだし」でないとほめ言葉にならないからです。これは「はだし」の意味を知らないために「しろうと」だったか「くろうと」だったかわからなくなって間違って覚えてしまったのでしょう。
意味がわかれば間違えようがありません。つまり「くろうともはだしで逃げる」それほどすぐれているというのです。しろうとでは裸で逃げたってほめ言葉にはなりません。
もう一つ「しろうとばなれ」ということばもあります。しろうとの域を出てくろうとに近いくらいにすぐれていることです。「くろうとはだし」、「しろうとぱなれ」、どもろもくろうとに匹敵するようですが、あくまでもしろうとだからいってもらえるほめ一言葉です。うっかり本気にして「画家」に転業してはいけません。なお、くろうとは「玄人」。しろうとは「素人」と書きます。
— posted by 間中 at 12:33 am
「珠玉」は大作に使うのは間違いで小品に使う
「珠玉の大作」というと、何か素晴らしい作品のように思われます。「珠玉」も「大作」もどちらもほめ言葉ですが、二つを結びつけてほめ言葉にはできません。なぜなら「珠玉」は「海で採れる珠(真珠)と山で採れる玉(宝石)」のことで、それらが素晴らしいところから、詩や文章のすぐれたものをほめることぱとして使われるようになったものです。ところで「珠玉」は「珠」も「玉」も大きなものではなく、小さなものです。ですから、このほめ言葉の対象もおのずと小品となります。「珠玉の短編小説」といえても「珠玉の大長編小説」とはいわない所以(ゆえん)です。
「調子の波」には乗れない
「最近の彼は、調子の波に乗ってるね」3ヵ月売り上げトップのA君はまさに、乗りに乗っているところです。ですが、「調子の波」は間違い。正しくは「調子に乗る」あるいは「波に乗る」といいます。二つの言い方を合わせてしまって、「調子の波に乗る」と間違えてしまったものでしょう。「調子」は、ここでは「はずみ。勢い」のことで、本来は音の高低を表します。「波」も「水面の高低運動」のことで、二つを重ねるのは無理があります。
「調子の波」には乗れない
「最近の彼は、調子の波に乗ってるね」3ヵ月売り上げトップのA君はまさに、乗りに乗っているところです。ですが、「調子の波」は間違い。正しくは「調子に乗る」あるいは「波に乗る」といいます。二つの言い方を合わせてしまって、「調子の波に乗る」と間違えてしまったものでしょう。「調子」は、ここでは「はずみ。勢い」のことで、本来は音の高低を表します。「波」も「水面の高低運動」のことで、二つを重ねるのは無理があります。
— posted by 間中 at 12:26 am
「顔色をうかがう」とは「その人の機嫌を見る」ということ
「あいつは、上司の顔をうかがってばかりいる」あまりいい意味では使われないこのことぱですが、正しくは「顔色をうかがう」です。「顔色」は文字どおり「顔の色」の意味もありますが、もっと広く「顔に表れた人の気持ち。表情。機嫌」をも表しており、「ご機嫌うかがい」などと同様の意味合いです。これを「顔をうかがう」とすると、その人の顔の美醜(びしゅう)・好悪(こうお)を判断するようで、慣用表現とはなりません。もっとも、「顔」だけでも「知らん顔」のように、心のありようを表す場合もあります。
「公算」は強い?高い?
「公算」は強い?高い?
- 「公算が強い」
- 「公算が高い」
- 「公算が確実だ」
— posted by 間中 at 12:21 am
「ジンクス」は縁起が悪い?プレッシャーになると失敗する
茶柱が立っているお茶を飲むと必ずホームランか出るんですよ。今日も立ってたんでジンクスどおり打てました」どこもおかしいところはなさそうです。俗に「茶柱が立つ」といいことが起こる前触れだとされていますし・・・。実は、「ジンクス」の意味が違っているのです。「ジンクス」は「縁起の悪いもの。けちのつくものにの意味で。例文のように、よいことには使われません。
「茶柱が立つと打でない」
「家を出て最初に女性に会うと打てない」
こうしたことが積もり積もると「ジンクス」となり、よけいに気にするようになって、大スランプに陥ることもあります。なお、「縁起をかつぐ」は、縁起の良し悪しに関係なく使われます。余談になりますが、「ジンクス」は英語で「jinx」と書き、アリスイという鳥のことです。昔、ギリシアで奇術とか魔術に現在のハトのように使われた鳥で、不思議な力をもつ魔鳥として不吉なものの代表となったようです。平和の象徴のハトと比べると不幸な鳥ですね。
「財界の一人者」はひとりもの?
「財界の一人者となられたA氏」これでは、妻に先立たれた財界人と思われ同情されることはあっても「財界のトップ」と思われないかもしれません。書く人は「いちにんしゃ」と考えて「一人者」と書くのでしょうか、読むほうは「ひとりもの」と誤読するおそれがあります。
「第一人者」と、必ず「第」を落とさないようにしなければなりません。意味は「ある社会または分野でいちばんすぐれ、他に肩をならべる者のないほどの人」です。ちなみに「ひとりもの」の場合は「独り者」と書くようにします。「ひとりごと」「ひとりだち」なども「独り言」「独り立ち」です。「独自」「独立」の熟語と対応します。
「茶柱が立つと打でない」
「家を出て最初に女性に会うと打てない」
こうしたことが積もり積もると「ジンクス」となり、よけいに気にするようになって、大スランプに陥ることもあります。なお、「縁起をかつぐ」は、縁起の良し悪しに関係なく使われます。余談になりますが、「ジンクス」は英語で「jinx」と書き、アリスイという鳥のことです。昔、ギリシアで奇術とか魔術に現在のハトのように使われた鳥で、不思議な力をもつ魔鳥として不吉なものの代表となったようです。平和の象徴のハトと比べると不幸な鳥ですね。
「財界の一人者」はひとりもの?
「財界の一人者となられたA氏」これでは、妻に先立たれた財界人と思われ同情されることはあっても「財界のトップ」と思われないかもしれません。書く人は「いちにんしゃ」と考えて「一人者」と書くのでしょうか、読むほうは「ひとりもの」と誤読するおそれがあります。
「第一人者」と、必ず「第」を落とさないようにしなければなりません。意味は「ある社会または分野でいちばんすぐれ、他に肩をならべる者のないほどの人」です。ちなみに「ひとりもの」の場合は「独り者」と書くようにします。「ひとりごと」「ひとりだち」なども「独り言」「独り立ち」です。「独自」「独立」の熟語と対応します。
— posted by 間中 at 12:13 am